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東京高等裁判所 昭和39年(う)642号 判決 1965年11月26日

控訴人 被告人 田中良平 外一名

弁護人 上田誠吉 外三名

検察官 倉井藤吉 外一名

主文

原判決を破棄する。

被告人両名をそれぞれ罰金二、〇〇〇円に処する。右の罰金を完納することができないときは、金六〇〇円を一日に換算した期間その被告人を労役場に留置する。

被告人両名に対し、公職選挙法第二五二条第一項の規定を適用しない。

原審および当審における訴訟費用の二分の一を被告人両名の連帯負担とする。

本件公訴事実のうち戸別訪問の点については被告人両名は無罪。

理由

本件控訴の趣意は各被告人が差し出した控訴趣意書および弁護人上田誠吉・同後藤昌次郎・同村野信夫・同谷村正太郎が連名で差し出した控訴趣意書に記載されたとおりで、これに対する当裁判所の判断は以下に示すとおりである。

弁護人の控訴趣意第四点および後藤被告人の控訴趣意のうちこれと同趣旨と思われる部分について。

弁護人の論旨の前半および後藤被告人の論旨は、要するに公職選挙法第二〇一条の一三第一項の解釈についての原判決の見解を争うものであり、弁護人の論旨の後半は、本件の民主青年新聞号外の記事内容は同法第一四八条にいう報道・評論に該当する、というのである。

そこで、まず、公職選挙法第二〇一条の一三第一項の解釈について考えてみると、この規定は多くの事項を一つの文章の中に盛り込んでいるためやや難解な規定であるが、要するに、政党その他の政治団体の発行する新聞紙および雑誌に関しては、選挙の期日の公示または告示の日からその選挙の当日までの間(以下これを「選挙期間」と呼ぶことにする。)は、当該選挙につき第一四章の三の規定により政治活動をすることができる政党その他の政治団体(以下これを「確認団体」と呼ぶことにする。)が発行・頒布する機関新聞紙および機関雑誌で同項の要件を備えたもの各一に限つて選挙に関する報道・評論を掲載し、これを掲載したものを頒布しまたは掲示することができること、そして、その機関紙誌については同法第一四八条第三項に規定する要件を必要としないことを規定したものと解しなければならない。いいかえれば、この規定によると、政党その他の政治団体の発行する新聞紙または雑誌のうち右の要件に該当しないものは選挙に関する報道・評論を掲載することができず、これを掲載したものを頒布・掲示をすることも許されないことになるのである。なるほどこの規定の冒頭の部分、すなわち「政党その他の政治団体の発行する新聞紙及び雑誌については、………の間に限り、第百四十八条第三項((新聞紙及び雑誌の定義))の規定を適用せず、」とある部分だけを読むと、これらの団体の発行するもの一般について第一四八条第三項の定義規定による制限を解除する趣旨の規定のようにも解せられないではないけれども、続けて「当該選挙につき本章の規定により政治活動をすることができる政党その他の政治団体の本部において直接発行し、且つ、通常の方法(…………)により頒布する機関新聞紙又は機関雑誌で、自治大臣(…………)に届け出たもの各一に限り、第百四十八条第一項及び第二項の規定を適用する。」とあるところからみると、この前半と後半とは一個不可分の文章をなしており、冒頭の「政党その他の政治団体の発行する新聞紙及び雑誌については」という文言はこの文書全体にかかるものと解すべきで、つまり、この規定の文章は、「政党その他の政治団体の発行する新聞紙及び雑誌については、………当該選挙につき本章の規定により政治活動をすることができる政党その他の政治団体の本部において直接発行し(中略)届け出たもの各一に限り、第百四十八条第一項及び第二項の規定を適用する。」ということをその骨子とするものと読むのが正しく、これによれば、本項は政党その他の政治団体の発行する新聞紙及び雑誌の全部をその規定の対象とし、そのうち後半に規定された特定の新聞紙・雑誌についてだけ報道・評論の自由を認め、その他のものについてはこれを認めないとする規定だと解するほかはない。このことは、「各一に限り、第百四十八条第一項及び第二項の規定を適用する。」という文言からみても明らかである。そして、この解釈は、この規定を含む第一四章の三「政党その他の政治団体の選挙における政治活動」の諸規定を通ずる法の趣旨とも一致するといわなければならない。けだし、同章の趣旨とするところは、選挙期間中は政党その他の政治団体の一定の政治活動を原則として禁止し、確認団体についてだけ一定の制限を付してこれを許すというのにあるのであつて、もし第二〇一条の一三第一項の規定を反対に解し、確認団体の発行する機関紙誌については厳重な制限を設け、それ以外の政党その他の政治団体の発行するものは自由に選挙に関する報道・評論を掲載することができる趣旨だとすると、同章の他の規定に示された法の趣旨とは全く反対の結果となるからである(ちなみに附言すれば、当裁判所のこの規定の解釈は「第百四十八条第三項の規定を適用せず」という文言を根拠とするものではない。第一四八条第三項は同条第一・二項にいう「新聞紙又は雑誌」を特に定義し、いわばその範囲を限定した規定で、これを適用しないということは第二〇一条の一三の適用される場合に関する限り「新聞紙又は雑誌」の範囲に特別の限定を設けないという効果を生ずるに止まり、第一四八条第一・二項の適用まで排除するという趣旨のものと解することは到底できない。「第三項の規定を適用せず」というのは、第三項の規定が存在しないものとして扱うということであり、その場合には第一・二項の規定だけの適用があるということにほかならないのである。第一・二項の規定は第三項の規定がなくとも存在しうる規定であるから、第三項の規定を適用しないことによつて第一・二項の適用まで排除されるという解釈は成り立つ余地がないと考える。その意味で、この「規定を適用せず」という規定は改正前の「規定にかかわらず」という文言と全く同じ趣旨のもので、この文書を改めたことによつて法文の解釈が変るべきものとは思われない。むしろこの規定は改正前からさきに述べたような趣旨のものであつたと解するのが正しい。)それゆえ、原判決が第二〇一条の一三第一項についてとつた解釈は少なくともその結論において正当で、この点の論旨は理由がない。

次に、被告人らが頒布した本件の民主青年新聞号外の記事内容が公職選挙法第一四八条にいう「報道・評論」に該当するという論旨の主張について考えてみると、当裁判所もまたその記事内容が同条所定の「報道・評論」にあたることを否定するものではない。しかしながら、新聞紙・雑誌に掲載された記事が「選挙に関する報道・評論」に該当するということは、これる掲載した新聞紙・雑誌が同法第一四二条にいう「選挙運動のために使用する文書図画」でないということを直ちに意味するものではなく、選挙に関する報道・評論を掲載したものの中には同時に「選挙運動のために使用する文書図画」たる性質をあわせ有するものもありうるのである。なんとなれば、新聞紙・雑誌が掲載する選挙に関する報道・評論の中でも、特定の候補者に関する事項を報道し、かつその候補者を高く評価し推薦するような評論をすることは、少なくとも結果的にはその候補者に当選を得させるのに効果があるわけであつて、このような新聞紙・雑誌を頒布・掲示することは、たとえば推薦状を頒布しポスターを掲示するのに比べてその実質的効果においてなんら劣るものではなく、そのような場合にはこれは「選挙運動のために使用する文書図画」の頒布または掲示たる性質を有するといわざるをえないからである。公職選挙法第一四八条はむしろこのことを前提とし、新聞紙および雑誌の社会における使命にかんがみ、そのような報道・評論であつても第一四二条以下の制限を適用せずその掲載・頒布を認めることを主眼としたものと解すべきで、もしそうでなく選挙に関する報道・評論がすべてその性質上文書図画による選挙運動に関する法の禁止に触れないものであるならば、あえて第一四八条第一・二項によつてその掲載・頒布の自由を規定する必要もほとんどなく、また第三項によつて新聞紙・雑誌の範囲を限定することも無意味であるはずである。したがつて、本件の選挙に関する報道・評論を掲載した民主青年新聞以外も、もしそれが「選挙運動に使用する文書図画」たる性質をあわせ有し、かつそれが第二〇一条の一三によつて第一四八条第一・二項の適用を排除されるということになれば、これを頒布することはやはり第一四二条第一項の規定に違反することになるといわなければならない。

ところで、本件の民主青年新聞号外が第一四二条にいう「選挙運動のために使用する文書図画」の性質を有するかどうかについて考えてみると、それはその外形内容自体からみて選挙運動のために使用すると推知されうるものを指すと解すべきであるが、右の号外はその第一面に野坂参三が候補者として演説をしている写真を大きく印刷し、上部に「参院選いよいよ大づめ-同盟員、全部でガンバルー」と題し、野坂の支持は急速にひろがつているが楽観を許さない情勢なので東京の民主青年同盟は野坂の勝利をめざして連日活躍している旨の記事を掲げ、また「野坂・岩間選挙事務所をたずねて」と題する記事の中には共産党春日都委員長の談話として野坂が苦戦であり野坂を当選させるため青年が一人でも棄権しないよう民青も先頭に立つてほしいという趣旨のことが書かれてあり、そのほか「野坂さんの演説を仲間をさそつてききにいこう」という記事と「みんなで投票を!“棄権”はやめましよう」という記事とが掲載されている。また、その第二面には「読者の希望訪問-野坂さんていいなあ」という訪問記事と、「貧乏人の味方を!参院選にのぞむ青年の声」と題し、自分は野坂を応援するという趣旨の氏名入りの記事と野坂参三の経歴が掲載されているのである。そこで、これらの記事および写真を総合して全体として観察すると、この民主青年新聞号外の記事内容はそれ自体からみて明らかに候補者野坂参三を推薦し、その支持とこれに対する投票を求める趣旨のものだといわなければならない。そうであるとすれば、原判決がこれを公職選挙法第一四二条第一項の文書だと解したのは相当であつて、この点の論旨もまた理由がないことに帰着する。

弁護人の控訴趣意第五点について。

論旨は、公職選挙法第一四章の三にいう政治団体とは当該選挙において所属候補者を有するものをいうのであるし、また民主青年同盟はその実体からみても政治資金規正法の適用を受けるべき政治団体ではないから、公職選挙法第二〇一条の一三の適用はない、というのである。

しかしながら、公職選挙法第一四章の三すなわち第二〇一条の五から第二〇一条の一三までの諸規定を通じて、「政党その他の政治団体」という概念にはそれ以上のなんらの限定はないのであるから、所論のようにこれを当該選挙において所属候補者を有するものに限ると解する根拠は見当らない。むしろ、これらの規定の中に「当該選挙において全国を通じて……人以上の所属候補者を有する政党その他の政治団体」(第二〇一条の五第一項・第二〇一条の六第一項)という文言があり、ことに「政党その他の政治団体で所属候補者……を有するもの」(第二〇一条の八)という文言のあることは、所属候補者を有しないものもまたここにいう「政党その他の政治団体」に該当することを示していることができる。そして、その「政党その他の政治団体」とは、政治資金規正法にいう「政党、協会その他の団体」と同意義のものと解すべきこと原判決のいうとおりであり、日本民主青年同盟がそのうちの政治団体に該当すると解されることも原判決の判示するとおりである。それゆえ、原判決にはこの点に関しなんら事実誤認も法令適用の誤りも存しないから、論旨は採用することができない。

弁護人の控訴趣意第三点について。

論旨は、公職選挙法第一四二条第一項、第二〇一条の一三および第二四三条第三号は表現の自由を規定した日本国憲法第二一条に違反するから、原判決には法令の適用に誤りがある、というのである。

思うに、公職選挙法第二〇一条の一二第一項は、前に述べたとおり、選挙期間中に限つて、確認団体以外の政党その他の政治団体の発行する新聞紙および雑誌につき同法第一四八条第一・二項の規定の適用を排除する趣旨の規定だと解すべきであるが、この第一四八条は、これも前に述べたように、同条にいう新聞紙または雑誌が選挙に関する報道・評論を掲載した場合、たとえそれがその性質からすれば「選挙運動のために使用する文書図画」とみられるものであつても、同法第一四二条・第一四三条などの禁止規定を適用しないとする規定であつて、いいかえれば、第二〇一条の一三第一項の規定がある結果として、確認団体以外の政党その他の政治団体の発行する新聞紙または雑誌でその内容が「選挙運動のために使用する文書図画」たる性質を有するものは第一四二条以下の規定の適用を受けることになるのである。したがつて、問題は、第一四二条(第一四三条以下の制限規定は本件では関係がないから、第一四二条だけをとり上げることとする。)およびその違反を罰する第二四三条第三号が違憲であるかどうか、また、第二〇一条の一三が確認団体以外の政党その他の団体の発行する新聞紙・雑誌について第一四八条第一・二項の適用を排除したことが違憲であるかどうかということに帰着する。ところで、まず公職選挙法第一四二条およびその罰則である同法第二四三条第三号についていえば、それは選挙運動における不当な競争を防ぎ選挙の自由公正を保持するためのやむをえない規制だと認められるのであつて、この程度の制限は公共の福祉のため憲法上も許されていると解すべきであるから、表現の自由に関する日本国憲法第二一条第一項に違反するということはできない(最高裁判所昭和二八年(あ)第三一四七号、同三〇年四月六日大法廷判決、刑集九巻四号八一九頁参照)。したがつて、政党その他の政治団体の発行する新聞紙・雑誌であつても、同法第一四二条第一項の文書図画に該当する以上、その頒布を制限し、その制限に対する違反を処罰することは、それ自体違憲であるとはいえないのである。ただ、同法第一四八条第三項の要件を備える新聞紙・雑誌については、いやしくも選挙に関する報道・評論とみられるかぎり、たとえそれが第一四二条第一項の文書図画たる性質をもつと認められる場合でも、原則として第一四八条第一・二項によつてその掲載・頒布が許されているわけであるが、これは、新聞紙、雑誌が社会の公器たる使命を有し、その選挙に関する報道・評論が国民に対して正しい判断の資料を提供する点において重要な意味をもつこと、そして他方においてこの報道・評論が少なくともその結果において特定の候補者に有利に作用する場合のあることは否定しえないところであり、もしそれが直ちに第一四二条の適用を受けるということになれば選挙に関する報道・評論はその面からはなはだしく制限を受けることになり、報道・評論のもつ正しい機能まである程度犠牲にせざるをえない結果となるし、またこのような制限が存すること自体が一般に新聞紙および雑誌の選挙に関する自由な報道・評論をいじけさせることになることを考慮したためであると思われる。そして、この規定がある結果として、当初から特定の候補者の当選を目的とする(すなわち、明らかに選挙運動たる性質を有する)報道・評論も許されることになるわけで、これは本来からいえばこの規定の趣旨とするところではないと考えられるが、しかしこの規定の目的を実効あらしめるためにはこのような弊害もまたやむをえないとしたものと解されるのである。ところで、同法第二〇一条の一三第一項がいわゆる確認団体以外の政党その他の政治団体の発行する新聞紙および雑誌について右の第一四八条第一・二項の適用を排除した理由を考えてみると、公職選挙法第一四章の三の諸規定は、従来選挙法が候補者個人を中心とする選挙運動しか認めなかつたのに対し、その候補者の属する政党その他の政治団体が一定の範囲で選挙運動をすることを認めると同時に、その運動の主体となる政党その他の政治団体をいわゆる確認団体に限定し、それ以外の政党その他の政治団体については、選挙期間中選挙運動はもとより政治活動をも原則として禁止することをその根幹の趣旨としているのであつて、本件で問題となつている第二〇一条の一三が確認団体以外の政党その他の政治団体の発行する新聞紙または雑誌に対し選挙に関する報道・評論を掲載することを禁止しているのも、まさに同じ趣旨に基づくのである。そして、このように一定の団体(確認団体)以外のものの選挙運動ないし政治活動を禁じているのは、公職選挙法が各候補者をして平等の条件のもとに選挙運動をさせる趣旨のもとに選挙運動につき種々の規制を加えていることに対応するものであつて、一の候補者については一の政党その他の政治団体だけにこれを許し、もつて各候補者間の公平を図ろうとしたことの結果であり、このことは現行公職選挙法の建て前からすればけだしやむをえないところだといわざるをえない。これを第二〇一条の一三第一項の新聞紙および雑誌に関する規制についてみると、そこに掲載される報道・評論の中には特定の候補者を支持し、推薦する趣旨のものがむしろ通例であろうことは発行者が政党その他の政治団体であることからして当然予想されるところであり、もしその発行を無制限に許すならば第一四二条が選挙運動のためにする文書図画の頒布を制限していることが実質上無意味となるためこれを確認団体の発行する機関紙誌各一に限つたものであつて、これは十分理由のあることだと考えられる。ただ、その結果として、確認団体以外の政党その他の政治団体の発行する新聞紙または雑誌が選挙期間中に限り選挙に関して報道・評論を掲載することが禁ぜられることが憲法の保障する表現の自由の原則と抵触するのではないかという問題があるわけであるが、少なくとも本件で問題となつているような「選挙運動のためにする文書図画」たる性質をもつている記事内容のものに関する限りは、これを掲載したものの頒布を禁じても日本国憲法第二一条第一項に反するといえないことは前に説明したとおりであるし、公職選挙法第一四八条第一・二項もこの種の事項の掲載・頒布を許すことを本来の趣旨としたものではなく、一般の新聞紙・雑誌と違つて政党その他の政治団体の発行するものについてはその発行者の性質上そこに掲載される報道・評論が一般に特定候補者を支持する内容のものであり選挙運動のためにする文書図画の性質を帯びることは認めざるをえないところであるから、この種の新聞紙・雑誌について第一四八条第一・二項の適用を排除し、選挙運動のためにする文書図画とみられる報道・評論を掲載した場合に第一四二条を適用することにしたからといつて、第一四八条の趣旨とあえて矛盾するともいえず、中正な報道・評論の自由を害するものともいえない。それゆえ、論旨は採用することができない。

弁護人の控訴趣意第二点および被告人らの各控訴趣意のうちこれと同趣旨と思われる部分について。

論旨は、原判決が被告人らが戸別訪問をしたと認定したのは事実を誤認したものだというのである。

そこで考えてみるのに、被告人両名が原判示の日時に新井文子とともに原判示のとおり茄子田政次郎方ほか七軒の家を順次訪問した事実は明らかで、争いのないところである。そして、この八戸のすべてにおいて被告人らが原水爆禁止の署名といわゆるカンパを求めていることからみてそれらがその訪問の一つの目的であつたことは疑いなく、また原判示民主青年新聞号外をそのいずれの家にも置いて行つているところからみると、これを配布することもその目的の一つであつたことは認めざるをえないところである。ところで、被告人らがこれらの家を訪問した際の言動を証拠によつてみてみると、そのうち数箇所(たとえば稲葉力方、栗田吉三方、佐藤鉄雄方)では家人に対し参議院議員候補者野坂参三を推薦する趣旨のことも言つていることが認められるので、あるいは同候補者への投票を口頭で依頼することもその訪問の一つの目的となつていたのではないかという疑いがないわけではない。そして、もしそのような目的もあつてこれらの家を戸別に訪問したのならばまさしくその行為は公職選挙法第一三八条第一項にいう投票を得しめる目的をもつてする戸別訪問に該当し、現に投票を依頼するといなとにかかわらず戸別訪問罪が成立するわけである。しかしながら、証拠によれば、これらの家のうち小林辰男方、野沢千恵方および斎藤八郎方では被告人らは野坂候補のことを口に出した形跡はなく、香川政一方では同人に対し投票する候補者が決まつているかどうかを尋ね、「決めていない」と答えると「棄権しないでほしい」と言つただけだというのであつて、もし投票依頼の目的があつたのならばこれらの家でも当然そのことを言い出しそうなものであるのに、それを言わず、しかもそれを言わなかつた原因として特段の事情のあつたことも証拠上明瞭でないところからみると、あるいはその場の空気で言いそびれたのではないかという疑いも決してないわけではないけれども、はたして本件の訪問の目的の中に口頭で投票を依頼することまで含まれていたかどうかについては、含まれていたと認定することになおなにがしかの疑いが残るといわなければならない。原判決は被告人らが野坂参三に投票を得しめる目的を有していたと認定すべき根拠として、(1) から(7) までの事実とその訪問が短時間の間にほぼ同じ態様で連続して行なわれていることを挙げているが、このうち(3) の事実から直ちにその目的を認定することに疑いが残ることは右に述べたとおりであり、その他の事実は、被告人らが野坂参三を当選させたい意思を有し原判示民主青年新聞号外を配布したのがそのためであつたことを認定する根拠にはなりえても、口頭で投票を依頼する意思まで有していたことの根拠には直ちにはなりえないと考える。

このように、被告人らがこれら八軒の家を訪問した目的の中に口頭で投票を依頼することまで含まれていたと認定するについては疑いがあるといわざるをえないが、被告人らに民主青年新聞号外を配布する目的があつたことは前に述べたとおりであり、右の号外の内容が前に判断したように野坂参三を推薦しその支持とこれに対する投票を求める趣旨のものであるとしてみると、この新聞紙を頒布する目的で戸別に訪問するのもまた第一三八条第一項にいう「選挙に関し、投票を得しめる目的」をもつてする戸別訪問にあたるのではないか、という問題を考えてみる必要がある。たしかに、このような文書を人に手渡すのも、結局は読む者に対し投票を勧めることになるから、一種の「投票を得しめる目的」があるといえないことはないであろう。しかし、文書を頒布するのには種々の方法があるわけで、各戸を訪問して文書を置いて行くのも要するに郵送その他と同じく頒布の一態様であるにすぎず、それを相手方の閲読しうる状態に置くという点ではなんら変るとろはない。他方、法が戸別訪問を禁止している趣旨を考えてみると、それは親しく訪問することに選挙運動として特段の意味のある場合を予想しているというべきで、いいかえるならば直接面接し口頭で投票(場合によつては投票しないこと)を依頼する行為を対象としていると解すべきである。戸別に訪問して法定外文書を配布して歩く行為は、もしそれだけに止まるならば第一四二条第一項の違反として処罰すれば足りるのであつて、重ねて戸別訪問罪として処罰することは法の趣旨とするところでないと考えなければならない。本件においては被告人らが、前記号外を手渡す際「これを読んで下さい」という趣旨のことを言つたことは認められるが、この程度のことばは文書の交付に当然随伴するもので、これを言つたからといつて文書の頒布のほかに投票依頼がなされたとみることは困難である。

以上の次第で、本件においては被告人らの行為を公職選挙法第一三八条第一項の戸別訪問とみることはできないから、これを認めた原判決は事実を誤認したか法令の適用を誤つたかのいずれかであつて(原判決が文書頒布の目的があつたことをもつて直ちに「投票を得しめる目的」があつたものと解したのか、それともそれ以外に投票を依頼する目的があつたとみたのかは、原判文上必ずしも明瞭ではない。)その誤りは後記無罪の理由の項で説明するように判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、この点の論旨は理由があり、その他の論旨につき判断するまでもなく原判決は刑事訴訟法第三九七条第一項・第三八〇条・第三八二条によつて破棄を免れない。それゆえ、原判決を破棄し、刑事訴訟法第四〇〇条但書を適用して、被告事件につきさらに判決をすることとする。

(有罪部分の理由)

原判決が法定外選挙運動文書の頒布として確定した事実、すなわち

「被告人らは、いずれも、昭和三七年六月七日公示され同年七月一日に施行された参議院議員通常選挙に際し、公職選挙法第二〇一条の六によつて政治活動をすることのできない政治団体(すなわち、いわゆる「確認団体」ではない政治団体、同法第二〇一条の六第二項、第二〇一条の五第三項、第四項参照)である日本民主青年同盟(以下「民青」という。)の同盟員であつたところ、野坂参三が右選挙に東京地方区から立候補するや、民青の一員である新井文子と共謀のうえ、同年六月二四日午前一一時一五分ごろから午後零時四〇分ごろまでの間に右選挙区の選挙人である東京都大田区女塚一丁目二五番地茄子田政次郎方ほか原判決別表記載の七名方を順次訪れ、同人らに対し野坂参三の写真・経歴および同人を推薦する記事を主として掲載した同年六月二二日付民青の中央機関紙「民主青年新聞」号外・参院選特集号・東京版を一部ずつ交付し、もつて法定外選挙運動文書を頒布した。」

という事実に法令を適用すると、被告人らの所為はいずれも公職選挙法第一四二条第一項に違反し刑法第六〇条・公職選挙法第二四三条第三号に該当するので、所定刑のうち罰金刑を選択し情状により刑法第六六条・第七一条・第六八条第四号を適用して酌量減軽をした金額の範囲内で被告人両名をそれぞれ罰金二、〇〇〇円に処することとし、この罰金不完納の場合における労役場留置につき刑法第一八条、公職選挙法第二五二条第一項の規定を適用しないことにつき同条第四項、原審および当審における訴訟費用の負担につき刑事訴訟法第一八一条第一項本文をそれぞれ適用して、主文第二項から第五項までのとおり言い渡すこととする。

(一部無罪の理由)

本件公訴事実のうち、被告人両名が昭和三七年六月二四日に新井文子と共謀のうえ茄子田政次郎方ほか七名方を戸別訪問したとの点については、前に説明したとおり犯罪の成立を認めることができない。ただ、この戸別訪問と右に有罪とした法定外文書の頒布罪との関係については、検察官は第一審においてこれを観念的競合であると主張し、原判決もまた同様これを観念的競合としているので、この点について考えてみると、公職選挙法第一三八条第一項の戸別訪問は同項に定める目的で戸別に訪問することをその内容とするもので、訪問をすればそれ以上にたとえば現に投票の依頼をするに至らなくても同法第二三九条第三号の罪が成立することは疑いない。いいかえれば戸別訪問罪の実行行為は訪問をすることそのことなのである。ところが、法定外選挙運動文書頒布の罪は、当該文書を頒布することをその実行行為とするものであるこというまでもなく、したがつて、かりにその頒布を目的とした戸別訪問が戸別訪問罪を構成すると仮定するとしたところで、それぞれの罪の実行行為は全く別個であつて、どのように考えてもそれは一個の行為ではあり得ない。そして、その二者の間に通常手段結果の関係があるともいえないから、この両者は併合罪の関係に立つというほかはないのである。そうであるとすれば、検察官がこれを観念的競合だと主張したとしても、判決裁判所がこれを併合罪と解する以上、その一部につき犯罪の成立を認めない場合にはその部分については主文で無罪を言い渡すべきものであるから、刑事訴訟法第三三六条により戸別訪問の点については被告人両名に対し主文第六項のとおり無罪の言渡をすることとする。

(裁判長判事 新関勝芳 判事 中野次雄 判事 伊東正七郎)

弁護人上田誠吉外三名の控訴趣意

第一点戸別訪問の取締(公職選挙法第一三八条、第二三九条)の違憲性

原判決には法令(公職選挙法第一三八条第一項、第二三九条第三号)の適用に誤があつてその誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかである。

(一) 原判決は被告人らの判示所為中、戸別訪問の点は公職選挙法第一三八条第一項、第二三九条第三号、刑法第六〇条に該当すると判示し、戸別訪問罪は憲法に保障する言論の自由を侵害するもので違法であるとする弁護人の主張をしりぞけ、その理由として左の四点を挙げている。

1 買収、利害誘導等による選挙の腐敗を未然に防止すること

2 被訪問者側の生活の平穏を保護すること

3 普通選挙法施行当初から禁止されてきたという歴史的背景を有すること

4 判例上、憲法第二一条に違反しないという見解が確立し、現在右判例の見解を変更しなければならない特段の事情も認められないこと。

(二) 原判決の掲げる右理由はいずれも理由がない。

1 もともと政治活動は、選挙運動期間中にこそ一番自由でなければならない筈である。ところが公職選挙法によれば、選挙運動の期間中に限つてとくに政党やその支持者の活動がうんと狭いところにおしこまれてしまう。その結果は、人から人へ、口から口へといつた民主的・大衆的・直接的宣伝説得方式を中心とする革新政党の選挙活動を不利益にし、マスコミ手段を握り、金をたくさん持つている保守政党の非民主的な選挙活動を有利にしていることに注目しなければならない。

もちろん、買収や饗応などは厳しく取締られなければならない。ところで買収・饗応によつて選挙の公明を害しているのが保守政党であることは公知の事実である。戸別訪問を禁止する公職選挙法のもとに法網を逃れて買収・饗応が巧妙に行われているのである。或いは官憲がそれを見逃しているのである。このような現実の下では、戸別訪問を犯罪として禁止する規定の存在は、一方において買収・饗応を未然に防ぐ建前となつているということによつて現実の醜状を美化するイチジクの葉の役割を果し、他方形式的な法規違反者を咎めることによつて、買収・饗応と全く関係のない民主的な選挙運動を処罰することとなるのである。その恰好の例が本件である。被告人らの行為は全く買収・饗応と関係がない。その臭いさえない。このことは証拠上何人も疑うことができない。にも拘らず、買収・饗応を未然に防ぐことを建前にすると称する法律で処罰されるのである。要するに戸別訪問罪の存在は、買収・饗応を未然に防ぐという口実の下に民主的な選挙運動を弾圧する規定であるという現実に注意しなければならない。

もともと選挙が民主的に行われるためには、候補者はもちろんその属する政党員、支持者らがその政党や候補者の政見や所信をできるだけ多くの選挙民に訴える機会が保障されていなければならない。だから議会民主主義の典型とされるイギリスでは戸別訪問が完全に自由に行われるようになつている。戸別訪問を禁止する選挙法を有する文明国はおそらく日本だけである。

2 選挙は自分達の意志を国政に反映させるために国民が自分達の代表を選ぶ重大な行事である。

国民は理念上、国の主権者ということになつているが、現実に主権者となるのは選挙のときだけだといつても過言のないほど重大な意味を持つている。どの政党、どの候補者が自分達の代表者でありうるかを知ることができるために最大限の機会が与えられなければならない。一方、相対立して国民の代表者たるべきことを争う政党や候補者の側にも国民と接触して自己の政見を明らかにする最大限の機会が与えられなければならない。これが民主主義の要請である。むろん、そのために不当に個人生活の平穏が侵害されてはなるまい。だが、そのためには刑法第一三〇条、第一三二条(住居侵入罪、同未遂罪)等を適正に運用することによつて個人生活の平穏を守ることができる。問題は平時でさえ、これらの規定によつて個人生活の平穏を守るに、必要かつ充分であるのに、なぜ選挙期間中に限つて更に生活の平穏を守ると称して戸別訪問を禁止しなければならないかということである。その合理的理由は全くない。平穏な生活を守るというのは、その実人から人へ、口から口へという民主的・大衆的・直接的な選挙運動を弾圧するための口実に外ならない。

3 戸別訪問が普通選挙法施行当初から禁止されてきたのは歴史的事実であるが、問題はその背景が民主主義の立場から見て合理的根拠を有するか、ということである。

前に述べたように議会民主主義の典型とされるイギリスでは、戸別訪問は自由とされている。戸別訪問を禁止している文明国はおそらくは日本だけである。そこで問題は、文明国の中でなぜ日本だけが戸別訪問を禁止しなければ公共の福祉に反するのか、その特殊事情があるのか、ということになる。それは全くない。あるのは政治的理由だけである。大正十四年政府は国民の要望をごまかすために普通選挙法を認めたものの大衆の政治活動を弾圧するために普通選挙法と抱合せに治安維持法を成立させた。この歴史的背景を見るならば、文明諸国に例を見ない戸別訪問禁止の存在理由が明白である。それは選挙を民主化するためでなく、むしろ民主的政治活動を制限する役割を受持つて登場したのである。

4 原判決の援用する最高裁判決は、戸別訪問禁止規定が憲法に違反しない理由として「憲法二一条は絶対無制限の言論の自由を保障しているのではなく、公共の福祉のためにその時、所、方法等につき合理的制限のおのずから存することは、これを容認するものと考うべきものであるから、選挙の公正を期するために戸別訪問を禁止した結果として言論自由の制限をもたらすことがあるとしても、これらの禁止規定を所論のように憲法に違反するものということはできない」といつている。

しかしながら憲法の保障する自由は、その制限が許されるとしても公共の福祉に反する明白且つ現存の危険がある場合だけに限られるべきである。公共の福祉を僣称する政策的目的があればその時、所、方法等を制限できるのではない。公共の福祉に反する場合に限つて制限できるのである。

選挙の公正ということについていえば、選挙の公正という政策的目的を建てれば、それに沿うように選挙の自由を制限できるのではなく、選挙の公正を害する明白且つ現存の危険がある場合だけ制限できるのである。最高裁判決はそのような危険の存在にまつたく言及することができない。抽象的な選挙の公正なる理念を掲げるだけである。戸別訪問によつて公共の福祉が害される明白かつ現存の危険が存しないことは、これまで述べたことから明らかであろう。最高裁判決は改めらるべきである。

(三) 原判決は憲法第二一条に反して無効である公職選挙法違反第一三八条、第二三九条を適用している点において法令の適用に誤りがあるといわねばならず、又、右法令の適用の誤りがなければ戸別訪問の点について無罪となるのであるから判決に影響を及ぼすことが明白である。

第二点戸別訪問の事実認定について(事実誤認)

一 原判決には事実誤認があつてその誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである。

(一) 原判決は「被告人らは……中略……野坂参三に投票を得しめる目的をもつて、民青の一員である新井文子と共謀のうえ、同年六月二十四日午前十一時十五分頃から午後零時四十分頃までの間に右選挙区の選挙人である東京都大田区女塚一丁目二五番地茄子田正次郎方外別表記載の七名方を順次戸毎に訪問し、同人らに対し野坂参三の写真および経歴並びに同人を推薦する記事を主として掲載した。同法第二〇一条の一三第一項所定の届出をしていない同年六月二十二日付民青の中央機関紙「民主青年新聞」号外、参院選特集号、東京版を各一部宛交付するなどし、もつて戸別訪問および法定外選挙運動文書の頒布をしたものである」と判示している。

しかし右の判示事実には次にあげるように事実誤認がある。

(二)1 第一に被告人らは野坂参三に投票を得せしめる目的を有したという判示は事実誤認が明らかである。

ところで原判決はその「弁護人らの主張に対する判断一」においてみとめているように、被告人らが各戸を訪問したのは民主青年同盟の日常活動の一環としてなされたものであることはみとめながら、しかし他方右の訪問については(1) ないし(7) その他の点からみて、弁護人らの主張する前記目的とともに野坂参三に投票を得せしめる目的をもあわせ有していたと認めるのが相当であるとしている。

しかしながら、弁護人としては、被告人らの各戸を訪問したのは民主青年同盟の日常活動そのものとして行われたのであり、その目的のみを意図していたものであつて投票をえせしめる目的をあわせ有したものではないと主張するものである。

2 判決が右の判断中(1) においてその時期が参議院議員選挙の投票日を一週間後に控えた日であつたことはみとめるとしてもあえて選挙運動たけなわの時であるという判示は単に修辞としてならともかく真実か否か疑わしいものである。

3 判決が右同(2) において被告人らが各戸に配布した民主青年新聞は、参議院議員選挙の「特集号」でその紙面はほとんど全部野坂参三の写真経歴および同人を推薦する記事でうめられていたと判示するが、これは検事の論告にいわゆる一見して、明瞭だという主張に追従したものであつて、本号外は特集号というものではなく、判示にはあやまりがある。

4 判決が、右同(3) において、被告人らが訪問先の数軒で参議院議員選挙について投票する人を決めたかどうか尋ねたり、あるいはより具体的に、野坂参三を推薦するようなことをいつたりしていると判示しているが、香川政一、稲葉力、栗田静子らは被告人らに対し偏見をもつており、これらの証言を軽々しく信用することは出来ないし、茄子田正次郎はすでに死亡しておるところ検察官調書に記載されている事実をそのまま信じることは出来ず、新井文子の検察官面前の供述は当公判廷の証言とくいちがつており信用することは出来ない。

5 次に右同(4) において、被訪問者の多数が被告人らの訪問を野坂参三の選挙運動と直感したと述べていると判示しているが、弁護人も原審において主張したように具体的な投票依頼行為が問題なのであつて相手がいかに感じたかはむしろその要素ではないものである。

6 次に右同(5) において小林正男方で共産党の中央機関紙アカハタをも配布したというが、これはたまたま被告人個人が持参していたものをわたすことによつてその場で話題となつた民青の日常活動をさらにくわしく理解してもらうために、同人に渡したまでのことである。

7 次に右同(6) において、被告人らの属する民青の第九回拡大中央委員会決定で、参議院議員の選挙には、共産党の野坂、岩間を推すことに決めて同盟員によびかけているというが、部外者に対してまでかかる選挙違反をする目的をもつて被告人らが行為することまでをこれから認定するのは誤りである。

8 そして結局「これらの訪問は、約一時間半の間に、ほぼ同じ態様で連続して行われている点からみて同一の意図目的のもとに行われたものと認められる」としているが、しかしその目的は他ならず民青の日常活動の目的に全一的に包括されてしまうものであり、これに加えて「野坂参三に投票を得しめる目的をもあわせ有していたと認める」ことはまつたくの事実誤認であるといわざるをえない。

(二) 原判決は、被告人らが投票をえせしむる目的をさえ有してさえいれば、具体的な投票依頼行為が認定されなくても、選挙法の禁ずる戸別訪問であるといえるがごとき口ぶりを示しているがいかに形式犯であるとしても目的を実現する具体的行為が必要なのであり、その行為を積極的に認定していない判示事実については事実誤認もしくに理由の不備があるといわなければならない。

けだしかかる具体的な依頼行為がなければ選挙権者の自由な意思、自由な判断に支障をきたすような行為の存在はまつたく証拠がないものであるが、かかる具体的行為がなくして戸別訪問となるがごとき原判決の理由は不備があるものといわなければならない。

(三) 原判決は、さらに「新井文子と共謀のうえ」と判示しているが、しかし弁護人が主張するように被告人らを含む民主青年同盟の日常活動の一環としてなされた被告人らの行為は前記のような全一的な目的のためになされたものであり、その一人たる新井文子についても、そもそも「投票をえせしめる目的」があつたとはいえず、したがつてそれを前提としてはじめて認定出来る「共謀の意思」を認定していることは明らかに事実誤認である。

(四) 以上要するに右諸点について判決に事実誤認がなければ被告人らは有利な判決をえられたものであるから、これら誤認が判決の結果に影響を及ぼすことは明らかであるといわなければならない。

第三点政党その他の政治団体の機関紙・誌の取締(公職選挙法第二〇一条の一三)の違憲性

原判決は、法令(公職選挙法第一四二条第一項、第二〇一条の一三第二四三条第三号)の適用に誤りがあつて、その誤りが判決に影響を及ぼすこと明らかである。

(一) 原判決は被告人らの判示所為中、法定外選挙運動文書頒布の点は公職選挙法第一四二条第一項、第二四三条第三号、刑法第六〇条に該当すると判示し、政党その他の政治団体の機関紙誌の選挙活動を制限する公職選挙法第二〇一条の一三の規定がいまだ表現の自由を保障する憲法の規定に違反すると考えられない理由として左の諸点を挙げている。

1 公職選挙法が選挙運動を候補者中心に行わるべきものとし、主としてこの観点から規制していること

2 本来自由濶達に行われるべき政治活動についてさえ選挙期間中は一定の活動が禁止されていること

3 政党その他の政治団体の機関紙の選挙に関する記事は「報道評論」の名のもとに執筆されるものでも客観性を失いがちで公職選挙法第一四八条第一項の「報道、評論」にあたるかどうかについて疑問を生ずる場合が多いと思われること

4 右を無制限に放置すると大政党が金の力にまかして下部に多数の政治団体をつくり、これらの団体の機関紙を利用して広範に文書による選挙運動を展開させ、文書制限に関する諸規定を免れるおそれがないといえないこと

5 問題とされるべき報道、評論を禁止する期間が比較的短期間でかつ明定されていること

(二) 原判決の掲げる右理由はいずれも理由がない。

1 右の1ないし3についていえば、原判決の立論は立法政策如何によつてシンコ細工のように合憲違憲の限界を変えうるという考え方が前提になつている。つまり憲法が法律に優越する上位の基本法であつて、公共の福祉に反する明白にして現存する危険がない限り憲法の保障する自由を侵すことができないという考え方に反する。表現の自由は公共の福祉に反しない限り最大に尊重されなければならないのであつて、公共の福祉に反しない限り制限してよいのではない。どつちでもよいのではなく公共の福祉に反する明白かつ現存の危険が立証されなければならないのである。原判決の立場は憲法の存在理由を無視した立法論にほかならない。このことを端的に示しているのは公職選挙法第二〇一条の五から一三に至る規定が「選挙運動の規制方法としてそれほど不合理であるとは思われない」という原判決の判示である。「それほど不合理であるとは思われない」というのは、若干不合理だが、その程度は大したことがないという意味である。不合理でないというのではない。原判決の立場は大して不合理でないから合憲だというのである。冗談ではない。憲法の保障する自由に対する制限は、公共の福祉の明白且つ現存する危険のため必要とされる最低限度のものでなければならず、従つてまつたく合理的な制限でなければならないのである。

2 原判決は、公職選挙法が候補者中心の規定になつているというが、選挙の実体が政党中心であるという実態を無視した空論にすぎない。

3 原判決は、政治活動についてさえ選挙期間中は一定の活動が禁止されているというが、このこと自体が問題であり、違憲の疑いがあるのである。

4 原判決は、政党その他の政治団体の機関紙の選挙記事は客観性を失いがちで「報道・評論」にあたるかどうか疑問を生ずる場合が多いというが、このような論理が認められるならば、すべての言論を封殺することも可能である。政党機関紙の選挙記事が主体的なものでなければならないのは当然であるが、そのために客観性を失うとは限らない。主体的なものの争いを通じて客観性を実現していこうというのがまさに民主的な選挙のあり方なのであつて、原判決の立場は根本的に誤つている。

5 原判決は、無制限に放置すると文書制限に関する諸規定を免れるおそれがないといえないというが、文書制限に関する諸規定の存在そのものが問題であり、違憲の疑いがあるのである。現に立法論としても、わが国の選挙界の汚濁した実状に照らし守られざる形式犯の警察取締りを完全に外して選挙運動を自由にし、悪質な実質犯に対してのみ厳罰を以て臨むべしとの世論の要望も強い。形式犯の撤廃こそが公共の福祉に合致するのである。いわゆる背番号候補の戦術に見られるように、形式犯の存在自体が却つて選挙を腐敗させている実状を直視すべきである。

6 原判決は、期間が短期間だというが、まさにこの期間こそ選挙活動の自由を極度に発揮させなければならない期間なのである。原判決の論理は顛倒している。

(三) 基本的人権を制限しうるものは、真の公共の福祉、換言すれば国民の最大多数の最大幸福の立証あるものであることを要し、真の公共の福祉のための制限は最低限度に止まらなければならない。ドイツの選挙法では刑事犯的性質の選挙犯罪は存するが、行政犯・形式犯的性質の選挙犯罪は存しない。ドイツに比較して日本の場合、形式犯的選挙犯罪を設け、表現の自由を制限しなければならないほどの公共の福祉に対する明白且つ現存の危険の存在は認められないのである。表現の自由を侵す公職選挙法第一四二条第一項、第二〇一条の一三、第二四三条第三号の適用は違憲であり右法案を適用しなければ被告人らは法定外選挙運動文書頒布の点は無罪となるのであるから、右法令の適用の誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである。

第四点公職選挙法第一四八条と第二〇一条の一三について(法令の適用の誤り)

原判決は公職選挙法第一四八条第一項第三項、同法第二〇一条の一三の規定の解釈を誤つたものであり、この誤りは判決に影響を及ぼすこと明らかである。

原判決は「参議院議員の選挙に関していえば、『政党その他の政治団体の発行する新聞及び雑誌については』その『選挙の期日の公示の日からその選挙の当日までの間に限り』同法第一四八条第三項の規定は全面的その適用を排除されることとなり、同法第二〇一条の六の規定によりいわゆる確認団体となつた政党その他の政治団体の本部において直接発行し、かつ通常の方法により頒布する機関新聞紙又は機関雑誌で自治大臣に届け出たもの各一に限り同法第一四八条第一・二項が適用されることとされ、右以外の政党その他の政治団体の発行する機関新聞紙等には、同条第一、二項は適用されなくなつたのである」と判示している。

しかし、これは誤りである。公職選挙法第二〇一条の一三の規定は政党又は政治団体の機関紙、雑誌のうち同法第一四八条第三項の要件を具備しないものについても、一定の条件の下で報道評論の自由を保障した規定である。同法第一四八条の第三項は極めて厳格な要件であるため政党、政治団体の機関紙・誌でも選挙運動期間中同条第一項の適用を受けないものが生ずることが当然予想されるが、一定数の候補者を有する政党、政治団体の機関紙・誌が、もつとも重要な働きをする選挙運動期間に選挙についての報道、評論ができないのでは不公平不合理であるため、同条三項の要件を緩和し、その代り発行者を制限し新開紙、雑誌各一に限り第一項の適用を認めたものである。(公政連、参議院、国会などの機関紙は第三項の要件を持つていなかつたと思われる。民主社会党の機関紙がこの要件を充すようになつたのは昭和三六年以後である。)

以下、その理由を述べる。

一、集会、結社、言論、出版の自由を基調とする民主主義社会においては、選挙運動の自由が原則でなければならない。しかし、英国その他の例からみても明らかな通り、選挙活動を完全に放任した場合には、権力、金力、暴力による腐敗行為が生ずるのでこれを防止し、選挙の公正を確保するための取締規定が設けられるようになつた。買収に関する罪、選挙妨害の罪、虚偽事項公表の罪、不正投票の罪等がそれである。

以上のような刑事犯的選挙犯罪の外、公職選挙法は、各候補者間の競争の行きすぎを妨止するため種々の行政的な選挙運動取締規定を設けている。

民主的な選挙においては選挙民が重要な政治問題、社会問題について充分認識し、自己の意見を持ち、各政党や個々の候補者の主義、主張従来の政治活動について知つた上で正しく選挙権を行使しうることが理想である。

選挙の公正とは、本来、表現の自由を守りそれに対する妨害を排除することにある。前記のように候補者の競争の行きすぎを抑えるため、本来正当な選挙活動に行政的に一定の制限を必要とする場合もその規整は必要最少限に止められなければならない。ことに表現の自由-言論の自由、とくに政治的言論の自由は民主主義社会においては大原則である。公職選挙法による表現の自由の制限は例外規定であることを忘れてはならない。わが国の公職選挙法には、しばしば党利党略を目的とした、不必要な取締規定が多いことが指摘されているが、公職選挙での解釈、適用にあたつては、取締のため却つて選挙の公正を害することなきよう注意せねばならない。公職選挙法第一条、第七条も同旨の規定である。

現在の社会においては表現の自由の中でも、特に新聞、雑誌による報道評論は、重要な位置を占める。このため、公職選挙法は特に、新聞雑誌による表現の自由と選挙の公正の維持のため第一四八条を設けたのである。第一四八条第一項は、表現の自由の例外として公職選挙法が定めた文書活動の制限に対し、さらに新聞雑誌についてのみ例外の例外として制限を緩和した規定であると解釈してはならない。それは新聞雑誌の重要性からいわば当然の事理を念のため再確認した規定である。

「同条(第一四八条)の趣旨は社会通念上新聞紙とみられる文書すなわちその性格上多かれ少なかれ記事の客観性を要求される文書についてはこれに報道評論という形で選挙に関する事項を掲載することを許しても特定候補者に当選を得させることだけを目的とする主観的な宣伝記事に堕する等の弊害の面は比較的少なく人々に選挙に関する必要な判断の資料を提供する等有益な面の方が多いとするにあると思われる。ただ現実の問題として選挙については各候補者間の競争ははげしく勢いのおもむくところ種々の行きすぎをまぬかれない。したがつて右の報道評論もこれを無制限に放置するならば、法の趣旨とするところと反対の結果を招くおそれがある。しかし、この規整については表現の自由の問題にも関連しあいまいな態度は許されない、法が一方で選挙運動の制限に関する一般規定の適用を排除し他方で明確な基準をもうけて、これを制限しようとしているのはこのためである。詳言すると法は明確な基準によつて選挙に関する報道及び評論(その伝達方法を含む。)の限界を画するとともに、この限界内での報道及び評論の自由を保障することによつて「表現の自由」と「選挙の公正」という二大理想の調和をはかつていると解されるのである。」(東京地裁昭和三五・一・二〇刑事八部判決-以下東京地裁判決として引用)と判例がいうのもほぼ同旨であろう。

そして、ことに、同条第三項において選挙運動期間中の新聞紙雑誌については極めて厳格な要件を定め選挙運動を直接、唯一の目的とする新聞紙、雑誌を排除し、要件を備える新聞紙雑誌については、すべて前記のような報道、評論の自由を確認したものである。したがつて、解釈上疑義がある場合は必ず常に原則に立帰り表現の自由-言論の自由を保障しなければならない。

二、原判決は公職選挙法第二〇一条の一三の解釈にあたり昭和二九年法第二〇七号による改正を強調している。

公職選挙法が昭和二五年法律第一〇〇号として制定されたときは第一四八条第一項第二項のみがあり、新聞・雑誌の要件を定めた同条第三項はなく、また現在の第二〇一条の一三にあたる規定もなかつた。第二〇一条の六(現在の一三)の規定がおかれたのは昭和二七年であり「政党その他の政治団体の発行する新聞紙及び雑誌については第一四八条第三項の規定にかかわらず前条第一項但書に規定する政党その他の政治団体の本部において直接発行し且つ通常の方法により頒布する機関新聞紙又は機関雑誌で自治庁長官に届け出たものいずれか一に限り第一四八条第一項及び第二項の規定を適用する。」となつていた。右の規定を率直に読めば原判決のごとき解釈にはならないであろう。

公職選挙法の多くの取締規定は、一般にある形態や選挙運動を禁止し、そのうちの一部について制限列挙、又は但書の形式で許可している。(文書図画の頒布掲示に関する同法第一四二条、一四三条の他、第二〇一条の五、第二〇一条の六、等)本条はその規定の形式からみても異る。原判決のいうごとき規定であれば、「政党その他の政治団体の発行する新聞紙及び雑誌については第一四八条第一項の規定を適用しない。但し、当該選挙につき、本章の規定により………機関新聞紙又は機関雑誌で………各一に限りこの限りではない。この場合は、第一四八条第三項は適用しない」というような形式をとるはずである。本条は政党、その他の政治団体の機関紙誌について第一四八条第三項の要件がなくても本条の要件があれば、第一四八条第一項、第二項の適用あることを規定したこと明らかである。

そして昭和二九年の改正において「………の規定にかかわらず」という文言を「………の規定を適用せず」という文言とが全く異なる意味に解するほかないと解することは、とうていできない。立法者にしてもし、原判決のいうごとき解釈を明確にする意図があつたのであれば、このような片言隻句によつてではなく、より単純明確に規定しうるであろう。かえつて二九年の改正では、従来機関新聞又は雑誌のいずれか一つに与えられていた保護が各一に拡大されたことこそ注目すべきであろう。いずれにせよ原判決は些末な字句の文理解釈に陥り、解釈上疑義あるときは原則に立帰るという、解釈の基準を忘れたものである。

三、原判決も自ら認めるように、原判決のごとき解釈をとれば著しく不公平な結果を生ずる。同法第二〇一条の一三の適用を受ける政党、政治団体(確認団体)は参議院の通常選挙においては、全国を通じて十人以上の附属候補者を有する政党、政治団体に限られる。確認団体となりうる政党政治団体は、自民党、社会党、民社党、共産党の他は一、二に過ぎない。検察官の主張によれば、わが国に存在するその他の多数の政党または、政治団体-多くの場合政治団体について問題を生ずると思われるが-は、その機関紙・誌においては、従来の伝統、発行状況等にかかわらず、すべて、選挙について報道評論の自由を有しないことになるのである。このような解釈は、選挙の公正に藉口した表現の自由の侵害であり、同法第二〇一条の一三がそのような規定であるとすれば明らかに憲法に違反し、無効である。

原判決はその解釈の根拠として公職選挙法は選挙運動を候補者中心に行われるべきものとし主としてこの観点から規整しているという。しかし、改めていうまでもなく、近代の議会政治は当然に政党の存在、その活動を予想し、前提としている。また、現に公職選挙法自体が第十四章の三に政党その他の政治団体の選挙における政治活動の規定をおき、政党間、政党と個人間の不公平を前提としている。そして、現実の問題として、いかなる政党、政治団体とも関係を有しない純粋に無所属の個人の候補者というのは絶無に近い。現に本件の参議院選挙においても政党的には無所属の候補者の多くは業者団体ないしは圧力団体を基礎として立候補しているのであり、それぞれの団体が団体機関紙を有していることは公知の事実である。(この点については後に補充書で具体的に主張する)

ことに、同法第二〇一条の一〇は「政談演説会及び街頭政談演説においては、政策の普及宣伝の外公職の候補者の推せん支持その他選挙運動のための演説をもすることができる。」と規定し、新聞紙、雑誌の報道、評論の自由に対し、より広い直接の選挙運動まで認めているのである。選挙運動一般について確認団体とそれ以外の政党、政治団体個人との差異は相当に大きいといわなければならない。さらに原判決はその根拠として政党その他の政治団体の発行する新聞紙、雑誌等の選挙に関する記事は「報道評論」の名のもとに執筆されるものも多かれ少なかれそれらに要請される客観性を失いがちで、同法第一四八条第一項の「報道、評論」にあたるかどうかについて疑問を生ずる場合が多いという。

しかし、発行者の主観的意図は、報道評論に当るかどうかの判断と無関係であることは、先の東京地裁判決及び東京高裁昭和三五年七・一四刑一〇部判決の二つの判決が明らかにしているところである。

また、報道評論の内容において差異があるか否かは、一般的にいいうることではなく個々具体的に当該記事が、報道評論の範囲内かそれをこえるものかを具体的に判断すべきものであり、同法第一四八条第一項但書、同条第二項、第一四八条の二等により規整さるべきものである。

前掲東京地裁判決は

「記載自体からみて、それが全く客観性を欠いた特定候補者に当選を得させることだけを目的とした宣伝文言にすぎないことが明白であるばあいには、それを報道または評論ということはできないが、その理由はそのような記載は、それ自体を客観的にみても社会通念上報道または評論といえないからであつて発行者の主観的目的が不当であつたからではない」

と判示している。

また、前掲東京高裁判決も

「右法条(同法第一四八条)の新聞紙、雑誌に掲載された記事が正当な報道評論に該当するや否やを定める基準即ち適法な報道、評論と然らざるものとの限界は-記事の内容の具体的な取扱方、掲載の形式、体裁、方法等はそれぞれの新聞紙雑誌の性格目的、読者等の相違に応じて異なることはあつても-一般の商事新聞たると、政党又は労働組合その他の団体の機関紙たるとを問わず同一でその間何らの差異もあるべきでなく同じく労働組合の機関紙であれば、国鉄労働組合の如き組織、内容の強大な且つその業務が公共的性格を有する組合の機関紙たると弱小な市井の企業体の組合の機関紙たるとを問わず、その間に毫末の差異も認むべきでないと解する。」

と判示している。

一般の商業新聞といつても朝日、毎日、読売の如き大新聞だけでなく、種々雑多である。業界紙もあれば、先の日本議会新聞のようないわゆる政治新聞もある。東京都庁のいわゆる庁内紙が多数存在することはしばしばいわれてるし、地方新聞の中にも県単位の新聞でなく郡、東京都の特別区乃至町村単位の新聞も多数ある。そしてこれらの新聞の選挙の際の報道評論記事の内容は、多くの政治団体の機関紙のそれよりも一層特定候補の支援を目的としているのではないかと思われるものも多数ある。

単に形式的に政党又は政治団体が発行するか否かでは内容的に相当の差異があると断定することはできない。また、大商業新聞の報道、評論も結果的には特定の候補者を支持し、または反対する場合が多い。大新聞は、一般に中立性を有するとみられているだけにその影響は大きい。各政党の政策に対する論評、各候補者の演説会その他の選挙運動の報道等。特に、候補者の当落の予想は極めて大きい。ある候補者が「当選確定」「楽勝」と報道された場合には、しばしば同政党の他の候補者に票が流れて苦戦し、あるいは当選圏外と報道されれば、本来とれるだけの票もとれなくなるというのは周知の事実である。それにもかかわらず、当落の予想が-虚偽の事実でない限り-許されるのは、若干の幣害があつても選挙に際し、表現の自由が極めて重要であるからである。

さらに原判決は、

「同法第一四八条第一項あるいは第二三五条の二にいう『選挙に関する報道、評論とは』、これらの条文の趣旨等からみて、いわゆる「選挙運動」とみられる余地のない『選挙に関する報道、評論』まで問題にする趣旨でない」と述べている。しかし、選挙に関する報道、評論に「選挙運動とみられる余地のある」ものと、しからざるものを区別するごとき考え方は、まさに取締の限界を不明確瞬時にするものであり、表現の自由を侵害するものである。従来の判決はこの点については、一貫して客観的に報道、評論の範囲内であるか否かの問題としてとらえており、また、それが正しい態度である。

四、民青新聞本件号外の記事内容は同条の報道、評論の範囲内のものである。

原判決は、この点については明らかにしていない報道、評論の定めについては従来の判例がほぼ一致している。

「同条(第一四八条)に規定する報道とは、選挙に関する客観的事実の報告であり、評論とは政党その他の団体、候補者その他のものの、政策、意見、主張、選挙運動その他選挙に関する言動を対象として論議批判することを指すものと解する。

即ち、ある政党、政治及び経済等に関する団体、労働組合、選挙候補者、同運動者その他のものが選挙に関し如何なる政策を発表したか、如何なる意見、主張を述べたか、あるいは如何なる候補者が立候補したか、ある候補者を誰が支持推せんし誰が反対したかというような事実を報告として掲載するのが同法案のいわゆる報道であり、前記諸団体又は候補者等の政策その他の意見、主張や選挙運動その他選挙に関する言動を論議し、批判し、賛否の意見を述べたり、あるいは批判の対象とした特定の政党、政治団体又は特定の候補者を支持、推せん、若しくは反対する等の意見、主張を表明する記事は同条の評論に該当するものと解すべきである」(東京高裁昭和三五・七・一四刑一〇部判決-以下東京高裁判決として引用する)

また検察官は、民青同盟が参議院議員選挙に際し共産党候補ないし野坂参三を支持する方針を出し、同盟員にそのための活動(必ずしも公職選挙法に定める選挙運動ではなく、直接当選を目的としないより幅の広い民主主義的運動、平和運動をも含んでいたことは、民青新聞及び同盟員である多数の証人の証言から明らかである。)を要請したことをもつて、あたかも、本件号外が違反文書であることの一理由であるかのように述べている。これもまた不当である。

「ある文書またはその記載が公職選挙法第一四八条第一項にいう「新聞紙」または「報道評論」にあたるかどうかは、あくまで問題の文書自体を客観的に観察して判断すべきであつてその文書がどういう意図あるいは目的で作成、発行頒布されたかを右の判断の基準とすることは許されない。作成発行頒布にあたつた者の主観が異なることによつて、同様な内容の文書が「新聞紙」あるいは「報道及び評論」にあたつたりあたらなかつたりすることは、不合理であるばかりでなく憲法の保障する「表現自由」を危うくするおそれがある。

第一四八条第一項の「報道及び評論」の解釈についても同様のことがいえる。ある新聞紙のある記載が同条の「報道及び評論」にあたるかどうかは、その記載自体を客観的に考察して、それが社会観念上「報道」または「評論」の範囲に属するといえるかどうかによつて決すべきである。発行者が特定候補者に当選を得させる目的をもつて掲載したことは、その記事が「報道及び評論」であることを否定する根拠にはならない。」(前掲東京地裁判決)そして前掲東京地裁判決における「日本議会新聞」の具体的記事内容、および東京高裁判決における「国労静岡」の記事内容と民青新聞本件号外の記事内容を対比すれば、本件号外の記事内容が同条の正当な「報道及び評論」にあたることは明らかである。

そして本件号外の頒布は、民青新聞の通常の頒布方法によりなされていることも原審において十二分に立証されたところである。

第五点公職選挙法第二〇一条の一三の「政治団体」について(法令の適用の誤り及び事実誤認)

原判決が公職選挙法第二〇一条の一三に規定する「政党」及び「その他の政治団体」を政治資金規正法第三条第一項、第二項にいう「政党」及び「協会その他の団体」と同意義のものと解したこと、民青同盟を公職選挙法にいう政治団体に該当するものと解した点において、公職選挙法第二〇一条の一三の適用を誤つている。

また、民青同盟の実体が政治団体であるとした点は明らかに事実誤認である。そして、右の法令の適用の誤り及び事実誤認は判決に影響を及ぼすこと明らかである。

民青同盟は、公職選挙法第二〇一条の一三にいう政治団体ではなくこの点からも、同条は、民青新聞ないし本件号外に適用されるべきではない。

本条、さらには第一四章の三にいう政治団体とは政治資金規正法の適用を受ける政党ないし、政治団体のすべてをいうのではなく、当該選挙において所属候補者を有する政党または政治団体に限られると解すべきである。

また、民青同盟はその実体からみても政治資金規整の適用を受けるべき政治団体ではない。

政治資金規正法における政党および政治団体の定義があいまいであること、「政治上の主義若しくは施策を支持し、若しくはこれに反対する」ことがその団体の主たる目的でなく多数の目的の中の一つである場合も政治団体であるとの公権的解釈がとられていること、罰則を伴うこと、同法の施行が米軍による占領中であり、いわゆる超憲法的な権力が行使されていたこと等の事情のため同条による届出をしている団体は著しく多く、その範囲も広いのである。

原判決のごとき解釈をとるときわが国の民主団体の大部分が選挙運動期間中、選挙ことに個々の候補者の報道評論が一切許されなくなり、また一切の政治活動(政談演説会、ポスターの掲示ビラの頒布等-ここにいうポスター、ビラは特定候補者を支持、反対するものでなく、政策の普及宣伝等を含むことは明らかである。)ができなくなるのであり、その結果が不当、不合理であることは、これまでに述べたところと同じである。

なお、この点については、後に控訴趣意書補充書を提出し、詳細に陳述する。

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